それを魔法と呼ぶのなら
私がジャム@福岡でいろいろ死んでた(いい意味で)間にひっそり(でもないな)と起こっていたこの騒動。
この騒動を知った時まず初めに思ったこと。
え?替えの楽器って持って行かないの?
フェスだからっていうのもあったんだとは思うけど、普通は何個か持っていくものと勝手に思ってたからビックリしたよ!!(くだらないな…
とりあえず解決*1はしたようなので、私がこの騒動の内容についてどうこう言うつもりはございません。
言えるような立場でもないですし。
でも、ある時ふと、他人から
「音楽は魔法ですか?」
って聞かれたとしたら、貴方はなんて答えますか?
音楽は魔法なんかじゃない
私の答えは「No」です。
つまり、「音楽は魔法なんかじゃない」と思ってます。
だって音楽を聴いただけで空を飛べたり、怪我が治ったり、モンスター倒したり*2できないじゃないですか。
けれども。
音楽を聴くことで起こる「何か」はあると信じてます。
「何か」が何かなんて分からないけども(禅問答か!)私が音楽を聴いて感じた「何か」が私を、私の周りを、私の未来を変えるかもしれない。
その可能性は否定したくありません。
ただ、その「何か」がプラスだったらいいけれども、マイナス方向に働いたとしても私は同じことを思えるのでしょうか。
音楽は毒にも薬にもなる
上記台詞はとある漫画の中の漫画*3に出てくる台詞です。
私の場合、精神的なバロメータを図る基準の一つに「音楽を聴く」というのがありまして、無理やり音楽聴いて「自分はまだ大丈夫」と言い聞かせてる時も少なからずあります。
ただそういった時に響く音楽って普段の精神状態とは絶対違うし、その音楽が導くものが必ずしも未来あるものであるという保証はなくて。
まぁ私は酷くてもわぁわぁ泣くか、そこらへんに転がって動かなくなるか、くらいで済んでるのでどうにかこうにかやってこれてるわけですがまぁ人によっては生命の危機に立たされる場合だって在る訳で。
「薬」だと思ったものが「毒」になってしまった。
私がそこまで追い詰められたとしたら、一体どんな行動を取るんでしょうか。
救う(save)より掬う(pick)を求めて
でも、きっと、そこまで追い詰められても私はきっと音楽に救いを求めてしまう気がしています。
感じた「何か」を違う「何か」に変えること、その方向転換ができることを「音楽に救われた」と言うんだと思います。
その、音楽によって「救われる」ためには、まず音楽を「掬わなきゃ」ならない。
つまり有象無象多種多様の音楽の中から何を求めているのかPickできなければ自分を、誰かをSaveすることはできない。
このことは私の大好きなバンドの大好きなVo.*4が言っていたんですけど。
最初聞いたときはイマイチぴんとこなかったんですが、時間が経つにつれて、いろんな音楽に触れるにつれて、「あぁこういう事を言いたかったのかもしれない」と思うようになって。
新しいジャンルの音楽を聴く度に、今まで行った事のない人のライブに行く度に。
誰かを「救う」事はおこがましくてとても言えないけれど、「掬う」中で見つけたものを伝えることができたらー
私はだから、何があっても音楽を聴くのかも知れないです。
その先にあるもの
なんか話が脱線しまくってますが(汗
結局は、騒動最中に大森靖子ちゃんが言った
音楽そのものは魔法じゃない、音楽が魔法的な可能性を秘めているだけ。
あとは自分とそこにいる人次第。
に尽きると思います。
そんなことを言いながらでも、結局はみんな、音楽のその先に「魔法」があることを信じているのかも知れません。
ちなみに全然関係ないんですが大森靖子ちゃん、過去関ジャニ∞についてこんなツイートして下さってます。
罪と夏めちゃくちゃ好き〜〜〜ツボ曲すぎる
— 大森靖子🌏 (@oomoriseiko) 2016年7月10日
ありがとうございます!!
なんならいつかひっそりとカバーしてくれてもいいんだよ(小声)